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これは、僕の独断と偏見、偏った知識に基づくものであり、整合性、理論性は
まったく無いものと思ってください。


1.この考察の概要
現在、広く一般に普及している「百合」というジャンルはズバり「女性同士の恋愛」を
描いたものである。
しかし、男性同士の恋愛を描いた作品は、「薔薇」とは呼称されない傾向にある。
「女性同士の恋愛」と「男性同士の恋愛」。一見対極しているように見え、その実、
根本に違うものを抱えているゆえに、対義しえない2つのジャンル。
なぜ「BL」に対し「GL」と表記される事が少ないのか?
なぜ「百合」に対し「薔薇」と表記されないのか?
この2つを対比し、その根源、相違と相容れない理由について、個人的な意見を
述べる。
その上で、サブカルチャーにおける「百合とはなんぞや?」というものを考えて行きたい。


2.2ジャンルの最大の相違。
僕の私見と、簡単な調べでたどり着いたこの2ジャンル最大の相違は、ずばり
その出生にある。
異論もあると思うが、僕が思うに。

「BL」はサブカルチャー出身。
「百合」は文学出身。

という分類が成立する。
それは、この2つのジャンルの生い立ちに由来する。

3.そもそも何故「百合」なのか?
このブログを読んでいる諸兄であれば、かつて「薔薇族」という男性同性愛者向けの雑誌が
存在した事をご存知だと思う。
かの「くそみそテクニック」を始めとする山川純一作品を連載していた雑誌である。
この雑誌の編集長、名を伊藤文學という。
彼は出版を通じて「同性愛への偏見をなくす」という活動を行った人物であり、自信は
ヘテロタイプ(異性愛者)である。
実は、この薔薇族という雑誌、男性同性愛者向けの雑誌はあるが、読者投稿コーナーに
「百合族の部屋」という女性同性愛者向けのコーナーがあった。
このコーナーの名称にもあるとおり、氏が男性同性愛者の隠語を「薔薇族」と呼称した
のに対義する形で提唱したのが「百合族」という言葉であった。
この事からも判るとおり、「百合」とは元来、女性同性愛者を指す隠語である。
その後、日活ポルノ映画「セーラー服 百合族」という映画が製作される。
それを期に、「百合族」という呼称はレズビアンの事として、ポルノ作品や
フランス書院系や森奈津子作品等の官能小説などで多く使われるようになる。
これが、1982~2000年くらいまでの「百合」というものだ。

3.「マリア様がみてる」に見る「百合」とその根源。
「百合」という言葉がサブカルチャー圏に大きく広がった理由に、この作品を
あげないわけには行かないだろう。
2004年にアニメ化され、大ヒットとなったこの作品。
原作の単行本は1998年に発行されており、そのあとがきの中で作者がこの作品を
「軽めの百合です」といっている。
さて、果たして「マリア様がみてる」は本当に百合だろうか?
前述のとおり、「百合、百合族」という言葉は元々女性同性愛者を示す隠語である。
しかし、このマリア様がみてるという作品は、そういった女性同性愛的な志向はあまり
見受けられない。
作中の「スール制度」や「キリスト教系ミッション制ハイスクール」という設定、こういった
要素を拾っていくとむしろ大正時代から成立しているジャンルである「少女文学、少女小説」
に近いものである。
同姓の先輩への憧憬、スール制度による擬似恋愛的要素など、まさに少女文学の特徴と言える。
「マリア様がみてる」では、明確に恋愛関係にある登場人物はごく一部でしかなく、百合を女性
同性愛とするのであれば、マリア様がみてるを「百合作品」と呼称するには少々御幣がある。
しかし、マリア様が見ているは作者自身が百合と呼称し、雑誌媒体等でもそう紹介されたため、
広く一般に「百合作品」と認識された。
結果、「少女文学」と「百合族作品」の境界は、一気に曖昧になる。
この時点で、既に「百合」という呼称には少女文学、少女小説的な意味合いが強く含まれる
ようになっている。
これが、僕が「百合は文学」とする理由である。

4.「ボーイズラブ」の出生について。
「やおい」「BL」等、様々な呼称を持つこのジャンル。
電車男ブームの追い風もあってヒットとなった書籍「腐女子彼女」や「隣の801ちゃん」により、
「腐女子」という言葉と共に一気に知名度を上げた。
こちらは元々、既存の作品のキャラクター同士を、その作品の設定を一部無視して恋愛関係に
発展させる「二次創作」がメインである。
元々「やおい」という呼称も、「キャラクター同士をくっつけることが目的であり、
作品としてのヤマもオチもイミも無い」つまり「ヤマ無しオチ無しイミ無し」の3無いから
取ったものであり、いわゆる「薔薇族」的な現実的男性同性愛を扱った物ではない。
BLも、元は「耽美系」と呼ばれる作品を出生としている。
最終的に「美形キャラを造り恋愛させるBL」と「既存のキャラを恋愛させるヤオイ」がいつの間にか
混同され、一つの体系となった事で広く「BL」という呼称として認知される。
ここで面白いのが、こういった作品を好むいわゆる「腐女子」と呼ばれる人々は山川純一作品のような、
所謂「薔薇族系」な男性同性愛は好まない人が多数という事実である。

5.2つの出生と作品傾向の違いによる、両ジャンルの決定的な違い。
「百合」という呼称は、薔薇族に端を欲するのに対し、BLは薔薇族とは無関係と言っていい。
この時点で、この両者の出生は、その実まったく別物だとお分かりいただけただろう。
さらに、百合という単語を一般に広めたマリア様がみてるの影響もあり、この2ジャンルの作品傾向は
大きく違ってくる。

「ボーイズラブ」とは明確に、美少年、美青年同士または、既存の男性キャラクターを用いた
二次創作の同性愛を描いた作品。

それに対し、

「百合」とは女性同性愛、または女性同士の擬似恋愛、少女同士の(恋愛感情を含まない)強い心の
繋がり、絆といった物を描い作品ないし、既存の女性キャラクターを用いた二次創作の同性愛作品。

と、作風の幅がまったく異なる。
男同士の友情作品を、「BL」と呼称する事例は皆無であろう。
つまり、

「BL」は同性愛作品のみの呼称。
「百合」とは、同性愛と少女文学の統合された呼称。

となり、この2つは一見対極に見えながら、まったく別の道を歩んでいる。
なんと言っても、「BL」と呼称するには「恋愛感情」が必要なのに対し、「百合」には必ず
しも恋愛感情が必要なわけではない。
その呼称の示す「範囲」がまったくもって違うのだ。
現在、多くの百合小説が少女向けレーベルから発行されているのも、少女文学が内包
されている事が理由ではないかと思われる。

6.総括、我々の行く先とは?
我々百合好きは男女問わず、「腐女子」のような明確な呼称を持たない。
「百合」という言葉が少女文学的要素を含む以上、10代の少女が漫画・小説に求める普遍的嗜好
もまた「百合好き」の範疇に入ってしまうので、明確に「"いわゆる普通の人"とは別」という風には
言い切れないからだ。
実は、百合も読者層は大半が女性であると言われている。
実際、百合漫画専門誌「百合姫」は女性向け雑誌「ゼロサム」の別冊であるし、その後、
多くの百合小説を発行している「ルルル文庫」「一迅社アイリス文庫」共に10代の少女向け
ライトノベルレーベルである。

僕の私見を述べるなら、腐女子と呼ばれる人々の百合への流入は歓迎しても良いと思う。
百合姫はBL作品を多く扱うゼロサムの別冊なわけだし、(僕個人の感想として)女性向けに
BLを書いていた漫画家は百合作品も上手い。
むしろ、いままで男性向け作品で書いてきた漫画家のほうが百合作品の質は低いように思える
(無論、例外も居る)。

百合というジャンルのシェアは、まだ小さい。
同人誌即売会においても、「BLオンリーイベント」が多数あるのに対し、「百合オンリーイベント」
はかなり少ない。
百合というジャンルは、いまだに発展途上にある。
その言葉の持つ幅の広さが、概念を固定しづらくしているのだ。
「百合」という言葉に固定した概念を持たせていくのは、発展途上を生きる我々エンドユーザーと
作品の造り手達だ。
我々は、百合というジャンルの発展のために、一層奮起努力せねばならない。

総括としては、ぶっちゃけ自分が何を言いたかったのかよく判らない。
僕が一つ一つの項目に、いまいち関連性が見出せない上に内容も飛び飛び。
まぁ、僕が長文書くとこうなる。文章ヘタなんだろうな。

ぶっちゃけあれだ。
百合最高。

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コメント

なるほど、百合とはかくも儚く、だからこそ美しいのだな…


ところで… や ら な い か?

>米1

だ が 断 る

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